2013年5月28日火曜日

僕がボーカロイド・オペラ「THE END」を観に行かなかった理由


先週末、Twitterの僕のタイムライン上は、初音ミクと渋谷慶一郎氏のコラボによる「THE END」の話題で埋まってた。まわりの人間もかなりの人数が観に行っていたようで、賛否両論繰り広げられているのを遠目で見ていたけれども、自分はコンサートを観に行かなかった。


あらかじめ言うと、今回内容に関しては一切触れてません。観てないので当たり前ですが。。。なので、「THE END」を観て感銘を受けたという方はここから先は読まれないほうが良いと思います。

制作スタッフを見ただけで、とんでもない完成度のものが出来上がるんだろうなと容易に想像つくし、音響の面でもevala氏がいて、映像の面でA4AにYKBX氏と凄まじいものになりそうだし、トレイラー見てもそれは十二分に感じれたし、観てみたいとすら感じた。じゃあ、なぜ観に行かないというと、唯一の理由は文脈の問題だ。

言わずもがなだけど、初音ミクは多くのユーザーが楽曲を作り、イラストを描き、映像を作り、中にはゲームやソフトウェア、コスチュームに振り付けまで作って、ユーザーに培われてきたカルチャーだ。

多くの人が関わって作り上げたのが初音ミクのコミュニティだったわけだが、今回の「THE END」の盛り上がりは、なんだか遠い国で起きているお祭りに見えてしまった。これまでボーカロイドなど口にしていなかったドレスを纏った文化人たちが、Twitterでルイヴィトンに包まれた初音ミクのフィギュアの写真をアップし、ミクを語りだしたり、黎明期から活動していたボカロPと並び当然のように雑誌などで語る様など、見ていて遠い感じがして仕方なかった。(話題性で言えば当たり前な事象ですが)

例えるなら、様々な村に愛されていた初音ミクという姫が、全く関わりのなかった王政の国に連れて行かれ、誰も買えないような高価なドレスを着せられ、豪華な式場で王と結婚式を挙げさせられる。それに対して王国民は「初音ミクと結婚する王様はやっぱり凄い!今までで見た結婚式で一番だ!」と騒ぎ、周りの国々の人は国交関係上で口を揃えて「凄い式場でしたね」と誉め称えているように思えた。

あとTwitterなどで何度か見かけた「ミクファンと思われる人たちが、理解出来ずかポカンとして帰ってったww」みたいな観た人のツイートも本当に気持ち悪かった。「田舎者にはこれを理解する感性はないだろう」という区切り方をしているようで。こういうこれまでの文脈のファンをバカにする人は一体何様のつもりなんだろうか。まるで「裸の王様」みたいな話だ。

もちろん、初音ミクを多くの人に広めるという点ではこれまでの文脈と全く違うところからアプローチしていて、確実に今までボーカロイドに触れなかった多くの人にリーチしただろうし、二次創作カルチャー的な部分ではなく、初音ミクの技術的な面や存在的な部分を抽出しての作品というのはある意味成功だし、良いことだと思う。完全に個人的に観る気が起きなかったという自分の問題なだけである。

小室哲哉にしろ、非常階段にしろ、こういった著名人・文化人とのコラボで一般普及させていく方針は、商業的に見れば正しいし、(これも嫌いな言葉だが)キャズムを超えるためには必要なことだと思う。単純にそういう方針になるのは、これまで二次創作的な広がり方やコミュニティの形成の仕方の部分が面白かったという自分にとっては何の面白みも感じないだけだ。

「それは好きなニッチなアイドルが、人気アイドルになってファンを離れる懐古厨じゃない?」というご指摘もあるかもしれないが、アイドルやバンドなどで自分を含めた一部の人が知っている優越感があるから好きだということではなく、ボーカロイドを中心とした二次創作文化としてのインターネットを介して広がるコミュニティが好きだったと言いたい。懐古厨ではあるかもしれないけど、ベクトルが違う。そもそももう初音ミクがニッチとは思えないし。

「あくまでミクは楽器なんだから」という人もいるかもしれないが、そういうご指摘は「なら普通の人はAbleton liveのパッケージを、ルイヴィトンに作らせて飾りプレスリリースするか?」と聞きたい。

もしくは「こういう広がり方も受け入れられないとか心が狭いな」と笑われれば、もう正にその通りでございます。としか言いようがないが。たぶん心が狭いんだと思う。でも、この違和感は無視しがたかった。

※「大ネットのステッカー事件を引きずるな」は否定しときます。初演のYCAMのときから感じてたことなので。

とにもかくにも、あらかじめ用意された話題性を持って開かれる結婚式よりも、名前の見えない多くの人の創作物や、そこから派生するコンテンツによりシーンが作られていく様を見ているほうが個人的に楽しかったしワクワクしたし、これからも観たいと思ったということでした。

今後もこのような形での著名人やメディアなどのコラボで押し広げていくシーンになるとしたら、制作者の顔は知らないが「ハジメテノオト」や「Packeged」を初めて聴いたとき、MMDというものが現れたとき、多くの人のシーンを表現したGoogleCMを観たときなどなど、これまでの並べきれないワクワク感は、もう無いのかもなって思うと、なんだか少し切なくなったのでした。おしまい。

これだけ書いといてあれですが、完成度に関しては最初に書いた通り間違いないスタッフ陣営なので、文脈としての違和感を除けばきっと楽しめると思うし、凄い体験ができるんだと思います。と付け加えて、毎度とりとめないテキストだが、以上が僕がボーカロイド・オペラ「THE END」を観に行かなかった理由。


追記:すみません。Twitterでいくつかの意見を見ての返答になりますが、会場やイベントの規模が大きいから嫌いで、小さいコミュニティなら好きとかそういった考え方はありません。
また商業ベースだから嫌いという話しでもないです。最近だとドミノピザの企画やearth music&ecologyの企画などは親近感がありとても好きでしたので。