自分がいつも遊びに行く秋葉原mograという大好きなクラブが今月10周年を迎えるにあたり、思い出を記録しておこうと実に3年振りのブログを書きます。3年振りに書くのに、今回のブログは個人的な思い入れと感情的な内容になると最初に断言します。(ついでに今酒を飲みながらmograで執筆している)
秋葉原に存在する"mogra"というクラブによく遊びに来る方も、名前は知ってるという方もいれば、全然知らないという方も多いと思うので多少の説明をすると、2009年8月にオープンした秋葉原初の本格的クラブハウスがmograで、さらに言えば当時としては珍しかったアニソンを多く扱うクラブである。
秋葉原に存在する"mogra"というクラブによく遊びに来る方も、名前は知ってるという方もいれば、全然知らないという方も多いと思うので多少の説明をすると、2009年8月にオープンした秋葉原初の本格的クラブハウスがmograで、さらに言えば当時としては珍しかったアニソンを多く扱うクラブである。
今でこそアニソンクラブというのは東京のみならず多く存在しているが、2009年時点ではアニソンをメインとして運営するクラブというのは本当に珍しかったという記憶がある。mograの立ち上げにおいて大きな前身として『DENPA!!!』というイベントは切っても切り離せないだろう。当時「ANIME×FASHION×NOISY ELECTRO」をコンセプトに800人以上の動員を誇っていたモンスターイベントだ。名前を聞いたことがある人の中には、アニソンやニコニコ動画カルチャーを電子音楽と合わせたイベントと認識している人もいるかもしれないが、元来はノイズミュージック、ブレイクコア、ハードコアテクノといった電子音楽をベースにし、アニソンやニコニコ動画などのカルチャーもニュートラルに混入し爆発したイベントという説明が適切だろう。この伝説的なモンスターイベントでアニソンDJをしていたのが、現mogra店長であるD-YAMAとオープン当初副店長であったDJシーザーだ。mograオープニングパーティの出演者を振り返っても『DENPA!!!』の影響は大きかったし、秋葉原という土地柄的にも多少オタクカルチャーベースに寄ったものの、カルチャーをニュートラルに取り込む『DENPA!!!』の姿勢はmograオープン以降もその成功に大きな影響を与えたと感じている。
自分はDENPAはその当時では名前は知っている程度であったのだが、mograとの所縁の始まりは自分が秋葉原に引越してきたことにある。2009年7月に引越してきた1ヶ月後に、鳴り物入りクラブmograも秋葉原にオープンした。「秋葉原にクラブができる」との噂を聞き、当時デビューしたてのももクロのマネージャーだった友人とオープニングパーティーに突撃したのを覚えている。
オープニングパーティーのmogra(音がめちゃくちゃ悪いのは許して)
オープニングパーティーでは超満員の客入りだったが、その翌週の週末にも遊びに行ったmograを見て絶句した。僕が今まで通っていたクラブとは運営形態が全く違い、フロアにテーブルと椅子を並べ照明も明るい状態で(当時は1Fラウンジが無く、地下メインフロアのみでの運営だった)、ステージ上にはリクエストボックスがありそこに書かれた曲をDJがかける、クラブというよりはDJバーに近い形態で運営していたのだ。客も少ない中でスタッフに話しかけて紹介された気弱そうな少年(当時21歳)が、mogra店長D-YAMAだった。フロアの様子と若年店長D-YAMAを見て『あ...このクラブ年内に潰れる』と本気で思ったのを今でも覚えている。運営陣にメインストリームのクラブを経験している人が皆無で、クラブ運営のノウハウが0だったことが当時のmograの致命的な欠点であった(のちにそれがプラスとなっていくのだが)
ひとまず仲良くなったmograに毎週のように遊びに行き、D-YAMAやkeiくんに「金土の夜は無理やりにでもクラブイベントをちゃんとやれ」とか「毎月のレギュラーパーティーを作れ」とか「お酒を飲みたくなる環境を作らないと経営が回らなくなる」とかいろんなことを話した。その流れで「まず毎月のレギュラーイベントを作ろう」と最初にできたのが、現在も続く老舗イベント「アニソンインデックス」だ。当時はシーザーさんが中心となり、本格アニソン原曲クラブイベントがレギュラーで生まれた。
アニソンレギュラーパーティーができた次に始まったのが、僕も参加しているクラブミュージックをメインとした「elemog」である。当時mograの常連でとにかくクラブミュージックでDJできる人をかき集めて始まったのだが、当たり前に全員初対面のため初回elemogオープン前に「初めまして...」と全員自己紹介をしてオープンし、お客は7人しかいない中で演者同士も会話が0だったのは今思い出すと笑える。
単にアニソンクラブではなく、クラブミュージックを準拠としてアニソンやアイドルやゲームといった様々なカルチャーを繋げていこうという考え方はこの頃から変わらずD-YAMAたちの根底にあったため、アニソンインデックスとelemogという対極のレギュラーが生まれたのだろう。ちなみにこの半年後には、アニソンとクラブミュージックの中間点として主にリミックス曲などを多く流す「アニソンマトリクス」という、こちらも今も続くレギュラーイベントが生まれた。
単にアニソンクラブではなく、クラブミュージックを準拠としてアニソンやアイドルやゲームといった様々なカルチャーを繋げていこうという考え方はこの頃から変わらずD-YAMAたちの根底にあったため、アニソンインデックスとelemogという対極のレギュラーが生まれたのだろう。ちなみにこの半年後には、アニソンとクラブミュージックの中間点として主にリミックス曲などを多く流す「アニソンマトリクス」という、こちらも今も続くレギュラーイベントが生まれた。
そんな状態で始まったmograだったが、ノウハウが無いとかDJがいないとかの環境がmogra独特の副作用を産み始めたのは2009年暮れあたりからだ。今では珍しくも無いアニソンDJだが、当時はアニソンのみをメインにするDJ(もしくはアニソンからDJを始める人)がほとんどいなかったため、ハウス、テクノ、トランス、ヒップホップなど他ジャンルのDJをやっていた人たちが「アニソンメインのクラブが秋葉原にあるらしいよ?アニソンでDJやってみるか」というアニソンDJへの流れが生まれた。たぶん当時のmograでアニソンDJの多くが、アニソンでは無いクラブのバックボーンを持ってアニソンDJをやっていた記憶がある。(自分もその一人だ)
また毎週水曜にDJブースレンタルデイというお金を払ってDJをするイベントも、今では馴染みのmogra DJたちが生まれたキッカケとなる。アニソンインデックスでもレギュラーをするDJぎゃらんやelemogのVJを務めるonomも、ブースレンタルでD-YAMAたちの目に止まりレギュラーイベントへとブッキングされる登竜門的な役割を果たした。圧倒的にDJもイベンターも少なかったことで、逆に「とりあえず面白そうな人は誰でも受け入れる」というフラットな環境が生まれた。
そんなこんなで通常のクラブではなかなか混じり合わない他ジャンルのDJたちが、「みんなアニメ・アニソンが好き」という共通項でmograに集まり始めたのが、今でも続くクラブ × アニソンというmograの源流を作っている。たぶんelemogレギュラーもそうだが、それぞれコミュニティやジャンルが少しずつ違う人たちが集結できたのは、アニメが繋げてくれたと思う。
また全員が主軸は違うコミュニティにあったことと、運営にクラブノウハウが無かったことが、これまでのクラブ潮流の流れを覆す波を作り出すこととなった。今はTwitchで、当時はUSTREAMでイベントの様子を全てネット配信していたことは、当時のクラブとしてはありえないことだったし、Twitterを使いまくるクラブというのも当時では珍しかった。(2009年にageHaとWOMBに「公式Twitterを早く作ったほうがいいです」と言ってできるまでに半年近く間があったのを覚えてる)
他にもイベント名が日本語のパーティーや、夏祭り・餅つきイベント・お花見・食べ物系イベントといったmograの風物詩イベントは、今ではどこもやっているような季節物イベントだが、当時では「ふざけたイベントだ」みたいな風潮があり、なかなか無かった。(今では信じられないかもしれないが、当時は本当にハロウィンくらいしか通常のクラブはやってなかった)
ノウハウが無いことが逆に良い効果となり「他のクラブだとやれないんだけど、とにかくふざけて面白いことやろうや」という流れがmograにでき、ネット配信を見て知った人も含めて、イベントをやるたびに雪だるま式に違うコミュニティからの仲間が増えていった。
ノウハウが無いことが逆に良い効果となり「他のクラブだとやれないんだけど、とにかくふざけて面白いことやろうや」という流れがmograにでき、ネット配信を見て知った人も含めて、イベントをやるたびに雪だるま式に違うコミュニティからの仲間が増えていった。
この流れはUSTREAMからTwitch配信に切り替えたことにより海外にも派生していくのだが、Porter Robinsonや Rasmus Faberといった外タレがmograに出演したことも、この独自性が大きい。自分はクラブ全体が好きで、小箱などでは日本独自の音を届けるDJたちが当時も多く存在するのは知っていたが、メインストリームはやはり欧米のクラブシーンの流れを後追いする感は否めかったと思う。そのため海外でも存在しているようなクラブではなく、アニソンとクラブという特異点で運営したmograは海外からは日本独自の異質な存在に映り、現在のようにTwitch配信の人気や、海外客が多く来る要因になったのだろう。(今さらだがアニメだけでなくネットレーベルや、Vocaloid、アイドル、J-popなどメインストリームで扱われてこなかった多くのジャンルを内包したことも追記したい)
このように様々なコミュニティから今まで接点が無かったような人たちが、メインストリームではできなかったことを面白そうと多く集まったことが、今でもmograを形成していて10年を経たと強く感じている。10年という歳月で大きく変わったことは、クラブの流れがオールだけでなくデイイベントにも移行してきたことや、他ジャンルでのバックボーンを持たずにアニソンからDJを始める人が多くなったこと、Twitch or USTREAM配信を見ていた若い子たちや海外の人がmograに憧れ出演するようになったことなど多々ある。けれど、多様なコミュニティの中継点としてmograが存在していることは、10年前から変わっていない。
近年、他クラブの若い子と話すと「mograは身内感が強くて入りづらい。それなりの経歴が無いと認められない」みたいなことを聞くことが多々あったのだが、そんなの当たり前だ。10年という時間が流れていたら仲間内の結束は強く見えるし、常連さんの繋がりも濃くなっていくし、10年近くやってる人間が多いのだから事実として経歴があるように見える。
けれど、オープン当初から考えれば初対面の他コミュニティの人ばかりが集まってできているクラブがmograだ。それは今でも変わっていないし、これからも新しく多様なコミュニティと繋がり新しい波を作っていきたいという"想い"は、D-YAMAや常連組も含めみんなが根底に持っている。
というか「身内じゃないから受け入れない」なんて考えをしてる人間がmograにいるなら、俺も悲しいし『映画ポケモン ミュウツーの逆襲』でピカチュウがコピーピカチュウをビンタしてるように、俺もそいつを泣きながらビンタしてやる。
外側から見れば長いであろう10年という歳月だが、中の人にとっては長くも一瞬であり、これから交わる人であってもmograを好きなのであれば少しの期間で中の人になってしまうだろう。
これからも多くのコミュニティの特異点であり中継点であるmograを、運営も演者もお客さんも全員で「最高に楽しいみんなの居場所」に更新していきたい。そして10周年という一つの区切りである祝いが今月あるので、「いつものみんな」も「新しい仲間」も全員で最高のお祝いをして10年目以降のmograを迎えていきたい。
そんな想いにふけり、mograで酒飲みながら書いている3年振りのブログを終えたいと思う。同時に私事ですが、このBloggerでのブログ記事も今回を最後に終えたいと思います。今後もし何か書きたいことがあればnoteに移行するかも。
mogra10周年のイベント情報も下に載せるので、こんな感情的な駄文をここまで読んで興味が湧いた人はぜひ3日間のどこか遊びに行って欲しい。
そしてmogra10周年本当におめでとう。これからもよろしくね。今回のブログは以上、秋葉原MOGRA10周年を迎えるにあたり #mogra
MOGRA 10th ANNIVERSARY PARTY
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